違っていること、そして「意味あること」 ~コロナ下での訪問看護~
訪問看護ステーション風 土屋秀則
10月11月とコロナの感染状況は大きく改善し、平穏な日々のありがたさを感じているところです。
私たち“風”は、運営上少なからずの影響をコロナから受けました。大変でした。しかし、これとは別に私は、コロナに関して一つショックを受けたことがあります。それは、コロナに対する一人ひとりの考え方の違いによって、社会の中でも身近でも様々な摩擦が起きたことです。コロナは、“人は皆それぞれ違う”という現実をあぶり出したように見えました。
まず私は、国によってコロナへの対応が違うことに驚きました。ロックダウンを実施する国があれば、日本のように行わない国もありました。それだけではなく、他の政策もまたスポーツ観戦や宗教行事等生活の仕方の違いについても驚くことばかりでした。
国内では、緊急事態宣言の発令をめぐって立場によって主張の違いが見られました。医療関係者は総じて発令を急ぎました。そして解除には慎重な姿勢を示しました。ところが、営業自粛を強いられる飲食店の多くは、要請に従いながらも不満を語っていました。中には自粛をしない選択をする事業者もあり、医療関係者たちとは違った考えが多くあることを示していました。私は、医療関係者ではありますが、飲食店事業者の話も十分理解出来ました。
また、幾分恐怖を感じたこともありました。自粛警察やマスク警察、挙句の果てにはウレタンマスク警察まで出現したことに対してです。日本だけではなく、同じようなことが外国でも起きていました。
近々使用できるようになる接種証明アプリは、もちろん感染拡大を防ぎ、ワクチン接種率を上げ、経済活動を活発にすることに効果があると思います。しかし、もしかしたら合法的接種警察という面もあるのではないでしょうか。この発明が、実は恐ろしいものなのかもしれない、と私は考えてしまいます。コロナを機に弱い者や少数者が生きられなくなることに繋がっていかなければいい、と思うのです。
さて、私たちの訪問看護の業務においても、「人はそれぞれ違っている」ということを見せられることが多々ありました。
コロナに感染することが不安で訪問看護を終了する利用者も多くいました。反対に、私たちがコロナ感染を心配して訪問看護を休業するのでは、と心配する利用者も多くいました。過剰な心配や全くの無頓着、利用者一人ひとりがこれほどまでに違った考えをするとはこれまでは思っていませんでした。
身近なことではもう一つ、ワクチン接種をしない選択をする利用者が多かったこと、そしてそのことに対する関係者の考えも様々だったことに驚かされました。
私たち“風”は、コロナワクチン接種を辞退している利用者に対しても、対応が一対一ということもあり、変わらぬ訪問を続けています。しかし、待合室事情があるからでしょうか、クリニックの中には、ワクチン接種をしなければ診療はしないというところもありました。
私たちは、ワクチン接種を辞退する利用者にアドバイスはしますが、強く接種を説得することはありません。説得しても、接種を受けない人はいるのです。その選択はやはり人としての権利だと思っています。
私は、ワクチン接種よりまたマスクを使用してもらうより、現在は利用者と“風”の関係性のほうを大切と思っています。ワクチンを接種しなくともマスクを使ってくれなくとも、一対一ではコロナ感染を防ぐことは可能と考えています。精神科訪問看護からかもしれませんが、利用者との関係性・繋がりの大切さは他の何にも代えがたいと思っています。
コロナは、私に、人の違いを見せつけました。また、違いと違いが接触した際、ときに、震撼するような状況が引き起こされることも見せてくれました。
私たち訪問看護は、コロナ下でもそれ以前でも、地位、経済力、能力など利用者の違いを超えて支援を行います。それは、どのような感性・考え・信条を持っている人に対してであれ、人間としての繋がりを大切にして行う仕事です。
私は、このような訪問看護の在り方に、何かしらの「意味」を感じています。