『普通になりたい』 訪問看護ステーション風 土屋秀則
「厄介な病気を背負い込んだ人間にとって、一番欲しいものは、“普通”ということです」
これは、病を得た小説家向田邦子が、“父への詫び状”のあとがきに書いている言葉です。
支援の仕事をしている私は、利用者さんから、「普通になりたい」という言葉をよく聞きます。病気は辛く、仕事には中々就けず、人と心を通わすことも難しい中で、「普通になりたい」とは何とも切実な願いだと思います。
いつも私は、この言葉を、どこかなにか悲しみと共に聞いています。と同時に、「普通になりたい」と聞くとき、私は、心の深いところで嬉しくも思うのです。たとえ、その人の“普通”がどんなに遠いところにあるものだとしても、願っているということだけで嬉しく思うのです。
私は若い日、「普通なんかになりたくない」と思い、自分が信じる道を歩き出しました。要は、普通ではなかったのです。もしかしたら、傲慢だったのかも知れません。その報いでしょうか、長い間私は厳しい人生を歩むことになりました。あるとき気が付くと、首だけ水面から出して海を必死に泳いでいる自分の姿が見えました。なんとか陸に上がって普通に生きたいと願い、溺れないよう、力尽きないように泳いでいたのです。
今は年を取り、どのように生きるかということより、与えられた課題にひたすら向き合っていくだけでいいと思うようになっています。
ただ、どうしてでしょう、長く「普通になりたい」と思って生きて来たのに、また、日々起きてくることに懸命に向き合って生きているのに、自分の中に今も、「普通には生きたくない」と思う気持ちがあるのです。
さて、もう1つ私が利用者さんからよく聞く言葉があります。それは、「死んでしまいたい」という言葉です。「私は役に立たない人間です。生きているのが辛い。いっそ死んでしまった方がましです」と多くの利用者さんは話します。
最近聞いた言葉は、「アリさんですら一生懸命働いている。私が生きていることに意味はない。たくさんのシャボン玉が上に上に上がっていって、パチンとはじけて消えてしまう。私も、誰の目に留まらないままパチンと消えてしまいたい」というものでした。胸が締め付けられる思いがします。
「普通になりたい」という言葉と「死んでしまいたい」という言葉は、紙一重の距離にあるように感じます。そして、病気という苦しい境涯の中で発せられた言葉ですが、私は、言葉として発せられた以上、この言葉に生きたいという“意志”を感じます。
私の仕事は、「普通になりたい」という気持ちに寄り添い、「死んでしまいたい」という気持ちをケアすることにあります。私は、これを、出来ると信じて仕事をしています。ただ正直なところ、“どうしたらいいんだ”と日々悩んでしまっているのが実情です。今も、首だけ水面から出して泳ぎ続け、何とか利用者さんと共に陸に上がろうとしている自分がいます。
こんな利用者さんもいます。「死にたい気持ちは10のうち9.5です」と話すのです。ここでも私は、その人がどんなに苦しくとも、言葉にして話してくれていることがありがたく嬉しいのです。0.5の生きる気持ちで生きていてくれたら、私は、何とか首を水面に出してふたりで一緒に泳げると思うからです。
利用者さんの、「普通になりたい」、「死んでしまいたい」という言葉について考えていると、普段から気になっていることが思い出されます。
若い時期に入院し、そのまま何十年も入院し続けている人たちのことです。その人たちが退院し、私たちの訪問看護を利用してくれるということがほとんどないことも気になります。ほとんどないということは、私たち地域の支援の力がまだまだ足りないことも原因の一つだと思います。しかし元はと言えばこれは、過去に、精神病院に長く入院させておこうとした政策があったことも原因です。入院が長くなった人たちは、自分に地域で生きていく力がなくなっているのでは、と思ってしまいます。入院当初は早く地域に帰りたいと思っていても、何時しか自分は地域には戻れない、戻らない方がいい、と思ってしまうのではないでしょうか。病棟の暖かい看護もあって、退院しなくてもいいと思うこともあるかも知れません。その人たちはもう、「普通になりたい」とは思わなくなっているように思います。
地域の支援者が精神病院の病棟の中に入って行き、患者さんたちに、退院し地域生活をしていくことを提案する実践において、それを断ってしまう、それに気持ちを向けられない患者さんが多いと聞いています。そうであるなら、その人たちを迎え入れる住居を、国が責任を持って地域に作るくらいの施策があっていいと思います。その上での人的支援ではないでしょうか。
最近、何年か委員をさせてもらっている都の地域生活移行支援会議において、支援の実態や支援者の努力を聞くにつけそう思います。
私は、今地域で暮らし、中々良くならない病気を背負い、自分を肯定できる役割が見つからず、人間関係で悩み苦しみ、「消えてしまいたい」と思ってしまう人に対し、それでも生きて、その苦しみと戦っていくことは意味あることと思っています。
もしかしたら、長い入院生活も大変ですが、地域で生きることも様々な難題があって大変だと思います。しかしどうか、自身の大変さと向き合い、症状を改善させ、人に役立つことを行えるよう、また人と仲良く出来るよう、私たちと一緒に考え、生きていただきたいと願わずにはいられません。