共感性について

 
                      平成30年12月8日  理事長 土屋秀則

平成最後の年の瀬に考えました。私の脳裏をよぎったものは、共感性についてです。

私たちの仕事の目的はシンプルなものです。一人でも多くの精神障害者が地域で人間らしくその人らしく生きていけるように支援することです。
これは簡単なことのようですが、当事者や私たちの目の前には多くの壁が立ちはだかっていて、中々願うようにはいかないのです。

壁の中で一番大きな壁は国の政策かもしれません。入院を推し進める政策が60年近く前からとられてきています。そのため、入院の必要がなくなっても、多くの方たちが、悲しいことに何十年も退院することなく病院で人生の終わりを待っています。この壁を何とか崩そうとしている運動はたくさんあると思いますが、なかなか効果があがってこないのが現状だと思います。この壁は今も高くて頑丈な壁のままあり続けています。
ほかにも、精神障害者を取り巻く壁は多々あります。
その中で私が特に手ごわいものとして感じる壁は、社会の中から共感性が失われていっていることから出来てしまった壁です。

共感性は、社会や文化の中にも個人の中にもあるものですが、時によって強くなったりまた弱くなったりもします。弱くなったときは利己的な心理が優勢となります。すると必然的に人と人との間、社会と社会の間に防衛のために壁が出来ます。昨今、壁はすっかり高いものになってしまっていると感じます。

人は元々、共感性という感情を備えている生物のようです。おそらく共感性は人の弱さから生じ、結果的に人を強くしていくものだと思います。人は個性を持ち、千差万別の能力と考えを持ちます。そして平和の中で様々な生き方をします。人は個々のものですが、共感性をもって助け合い、個人にとって社会を優しいものに形作るのだと思います。もし人が進化の最終段階に到達したとしても、共感性のない人ばかりになってしまうということはないと思いますが、どうでしょうか。

では人が共感性を失っていくのはどのような理由からでしょうか。この平和な時代にあって、どうして人は共感性を失うのでしょうか。もしかしたら人や社会が豊かになったり力を持つことと共感性が失われることは関係があるかもしれません。人同士助け合わなくとも、例えば経済的に強い人は自らの弱さを経済力で克服できます。そういうことなのでしょうか。
制度の発展も関係しているかもしれません。福祉制度が出来ていくのはいいことですが、往々にして制度は共感性を置き去りにするようです。共感性のない制度は運用システムでカバーするほかないのですが、特に心の問題には応えられないことが多いと思います。

利己的な心理のほうが優勢に働くようになっている現在、自分さえよければいい、人のことなど構っていられないという心理ならまだしも、自分にとって不利益になりそうだと思えば、その対象が死滅しても気にかけない。むしろ、この社会から消え去ってもらいたい、と考えるかもしれません。
社会全体隅々にまで見えない利己的な壁が人と人との間に縦横に出来上がっていると思います。
今も多くの人が退院できないことにはこのような現象と関係があると思いますが、皆さまはいかが考えるでしょうか。

それはともあれ、私が今日お話ししたいことは、共感性に基づいた様々なムーヴメントが社会の中で生まれてきているということです。
例えば、災害ボランティアたちの活動がテレビで放映され凄く感動させられました。
私たちの仕事と関係することでは、発達障害の特性を多くの人に分かってもらおうと、様々な番組が放映されていること。
また、「こども食堂」や「青少年の居場所」の増加も一例に当たると思います。
それから、職場をリタイアした高齢者が、地域で新しい人生と繋がりを持てるような活動をこの府中市でもあちらこちらで生み育てていることにも驚かされます。
私は仕事で、「青少年の居場所」など子供たちを支援している施設に行く機会があります。そこで覚える安心感そして救済の感覚、感動は、そこある人間らしさ、共感性にもとづく愛情が私の胸を打つからなのだと思います。人も社会も捨てたものじゃないと感じます。

コットンハウス、フレンズの事業も、もとはと言えば人への共感性を礎にしていました。現在はどのようになっているでしょう・・・。私たちのスタッフに、今も、「利用者さんの一人一人のことが好きなんです。大切な人たちとでも言ったらいいでしょうか。一人一人にとてもいいところがあって、そこに魅力を感じます。訪問に行くと私自身が元気をもらって帰ってきます」と言う人がいます。実はわたくし自身、全く同じ体験をしているところがあります。物事がうまくいかないとき、「失われた心」を、支援をしながらですがもらって帰ります。共感性に基づいているということは、不思議な関係性をそこに生じさせることもあるものなのです。

社会は、多くの分野で共感性を失ってきました。ところが、この変化する社会の中で今必要になっているものもこの共感性だと思います。
現在の状況の中でも、ポジティブな視点を持って考え、人の心が豊かになっていく活動・仕事を私たちもしていきたいと、年の瀬に考えました。


        コットンハウス、フレンズ理事長 訪問看護ステーション風 所長 土屋秀則

変化というものは突然起こるようでも、実は見えないところで少しずつ起こっているものだと思います。
 社会も人間も知らないうちに静かに変化してきていたようでしたが、昨年は、誰もがド~ンと大きな変化を感じることになった一年だったのではないでしょうか。
 社会や人間の変化に伴って、よく見れば、私達が携わっている地域での精神障害者支援の仕事も様々な変化が進んでいると思います。
 私が昨年最も考えさせられた変化は、人間個人のそれぞれの精神の中で拡大的に進む「個人主義」という事象についてでした。この事象は、私共の日々の仕事に大きく関係してくるものですから、私の悩みの種になってしまっています。
「己の事ばかり考える奴は、己をも滅ぼす奴だ」とは、折よく年末に放映された黒澤明「七人の侍」の中のセリフです。私は、実は、昨年ほど様々な場面でこの言葉が脳裏をよぎった年はありませんでした。映画では、これに先立ち、「他人を守ってこそ自分を守れる」というセリフが放たれます。
 映画は半世紀以上も前に作られましたが、その時代も当然個人主義はあったわけです。しかし、声高に利他主義がプレゼンされ、農民も侍も一緒になって命を懸けて戦うなんて、黒澤の時代には現代の考え方とは違う考え方があったことを思い出させてくれます。
 18世紀後半に起こった産業革命の負の側面として、社会や労働の分断、利己主義の隆盛、格差の拡大等があげられると思いますが、これらは、その後社会的修正が試みられたりもしてきました。しかし、現代社会においては、修正不可能なくらいこの負の側面は拡大し徹底化がなされてきていると感じます。
 現代に生きる人間には、個人主義でしか生きられない状況があるのだと思います。現代人にとって幸せは個人の中にあるプライベートなもの。究極、「他者は存在しない」という命題さえ成り立つくらいの状況です。
 私達が携わる地域での精神障害者支援の仕事は、或る面、障害者の生活に作り出された様々な負の側面について、個々の事例においてまた社会的な問題として修正を行う作業という意味もあると思います。私は、これを行うためには、私達自身が、分断化された専門家職業人ではなくトータルな人間として生きていること、また、個人主義ではなく博愛主義も持ち合わせていなければならないこと、そして、他人の幸せを願い他人の不幸を忌む共感感性を持っていなければならないとも思っています。もし、支援者がこの反対の人間性を持っているとしたらどうでしょう。
 ところが、今や、社会全体を蔽いつつある個人主義は、私達事業者や職員一人ひとりの心にも浸潤している感があります。

 さて、昨今、「精神障害者に対応した地域包括ケアシステム」の構築が提唱されるようになってきています。
 現実的には、この包括ケアは、多くの事業者が関わる連携型のシステムになっていくと思います。この場合当然職種を超えた様々な支援者と連携がなされるわけですが、「7人の侍」のように寝起きを共にしているわけではないのですから、連携することは中々困難を伴うかもしれません。それぞれの事業所で利害関係が生じる場合もありますが、それをどのように調整できるか。連携チームのリーダーの役割は大切ですが、これは経験や立場だけではなくやはり人間性にも関わってくるものだと思います。
 それぞれの事業者の経営においては、個人主義・利己主義を自らのパーソナリティとしなければ生き残れない現実もあるかと思います。当たり前に競争と淘汰が行われています。また事業者の多くは、他の職業団体と同様に人材不足に陥っています。
 このような私達を取り巻く状況をどのように捉えるかが、今私達が直面している大きな問題なのです。そして、私はここに、現在この状況を肯定的に捉えることが出来ていることをお話しておきたいと思います。
 もし地域での精神障害者支援の仕事において、多種多様の小さな事業所が、利害を超えて、また利害を同一のものとして、連携し、一人の利用者に関わることが出来たなら、それは、新しい素晴らしい仕事の在り方になるのではないかと思うからです。
 連携は、事業者における個人主義・利己主義を超えるものです。こういった事業の在り方は、他の業種にはないのではないでしょうか。この地域連携が成功して行けば、現代に生きる人間の個人主義も、もしかしたら変わっていくこともあるのではないかと思います。

 新年、述べましたように、私には2つの課題が課せられていることを自覚しています。1つは、事業所をあげて、しっかり他の事業所と連携し、「精神障害者に対応できる包括的ケア」をよりよいものにしていくよう寄与すること。もう1つは、社会の、また個々の人間の行き過ぎた個人主義と利己主義に対して、それを乗り越えられるような前向きな適応方法を探し出していくことです。
 そのためには、私達が内なる分断を乗り越え、トータルな人間・職業人として生きる、そこから始めたいと考えております。

 今年、皆様方の生活と仕事に笑顔が満ち溢れますように。


 2017年7月1日、「全国訪問看護事業協会」主催の「第4回精神科訪問看護ステーション情報交換会」に参加して来ました。この会のテーマは、「精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築」というもので、参加者は、全国から集まった153名の訪問看護ステーション関係者でした。
 私は、第1部の「地域づくりに寄与するステーションの姿」というテーマのパネルディスカッションにパネラーとして参加し、私のこれまでの実践について報告しました。
 座長は荻原喜茂さん(日本作業療法士会副会長)。パネラーは他に、講演者の萱間真美さん(聖路加国際大学大学院教授)、そして、小野俊一さん(訪問看護ステーションこころ所長)でした。
 萱間先生は、「精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築の必要性」という講演の中で、訪問看護ステーションに求められる役割・あり方を示していました。小野さんは、宮崎県での訪問看護の実践報告をしてくれました。
 私が行った報告を以下に載せました。長いものですが、是非お読みいただければと思います。

「訪問看護ステーションから見える地域ネットワーク支援におけるいくつかの問題点」

1、はじめに
 地域における精神障害者支援は、これまでも地域活動支援センターを中心とした包括的なネットワーク支援の体制があった。しかし、高齢者支援に比べるとその包括度は弱いものである。現在、小児・成人・高齢者を問わず、地域精神障害者支援において包括ケアシステムの構築が急がれている。
 また、地域ネットワーク支援チームの一員として実際に精神障害者支援を展開している訪問看護の立場から見ると、支援を行なう上での仕事のやりづらさを感じることが多々あった。
 今回は、このやりづらさ、違和感といったものの内容を明らかにし、解決策を考えることで、今後の精神障害者地域包括ケアシステム構築に幾らかでも資するようにしたい。

2、ネットワーク型精神科地域支援について
 地域で生活する精神障害者のニーズは、医療面、生活面の多岐にわたる。例えば、重複的に疾患を抱えていたり、家族も多くの生活上の困難を持っていれば、そのニーズに対応して支援者・支援事業所は増えることになる。そうやって地域では、多くの支援者が一人の精神障害者に支援を行なうネットワーク支援が出来上がってきた。
 現在行われているネットワーク支援は大体のところ機能していると思うが、包括であるかないかを別としても、ネットワーク型であるからこその問題もある。
 今後もおそらく精神科地域包括ケアは、ネットワーク型で進化・充実させていくことになると考えられる。ともあれ現在ある問題を考察しながら人間的な暖かいネットワーク型包括ケアシステムを作り上げていく必要がある。

3、ネットワーク型精神科地域包括ケアシステムにおける問題点
 私は、訪問看護の仕事は3つあると思っている。1つは、日々の訪問業務。1つは、緊急時対応業務。3つ目として、他の関係機関との連携業務である。他の関係機関と連携することは労力を要することである。
 訪問看護師は、医師の指示が必要ではあるが、支援においてはオールマイティーのところがある。地域支援では、利用者の置かれた環境と人生時間の中で、医療面以外でも日常生活における包括的な支援を考えている。それが故に見える問題点もある。

問題1  利用者がネットワーク支援にストレスを感じるという問題
 多くの支援者、事業所が関わることは、利用者にとってストレスになる場合もある。
 重複して疾患を持っていたり、また家族の中に様々な困難があったりすると、多くの支援者が関わることになる。この状況にあってもあまり問題が生じない場合もあるが、多くの支援者の関わりに利用者がストレスを感じ、支援者と利用者の間で様々な問題が生じることもある。

問題2  支援者がネットワーク支援にストレスを感じるという問題
 支援者同士の連携は、お互い労力を要する。
 訪問看護の3つ目の仕事「連携」は放っておいても出来るものではない。仕事として意識的に行わないと成り立たないところがある。
 全くストレスにならない連携もある一方、ストレスを感じる連携もある。支援者間、事業者間で支援についての考え方が異なっていることがストレスを感じる原因になっている場合が多い。一概に悪いことではないと思うが、この相違を原因とする摩擦やストレスは、利用者やまたネットワークそのものへマイナスとして働くこともある。
 もう1つ、解決が難しい問題であり続けるのは、事業者間にある利害関係である。

問題3  ネットワーク構造にある問題
 支援に関わる事業所は、ネットワークを頼りにしている。一方で、自分たちの仕事の内容には枠を設けている。それ以外・以上はいたしませんということである。
 そこでどうしても事業所と事業所の間に、支援の対象にならないニーズが取り残されることがある。これは、利用者にとっては不利益である。
 例えばネットワークの中で強いコーディネート力が働いていないとき、緊急受診への対応などでは問題が生じることがある。

問題4  医師の問題
 地域支援では、医師はネットワークに入って来ない。医師は連携してくれないという現実がある。
 おかしな話だが、病院勤務医の方がクリニック医師より連携の重要性を考えてくれる。
 クリニックは、私が知る限り、府中市と府中市に接している市の中では、2軒しか地域に積極的な視点を持ってくれていない。クリニックでケア会議が開かれた例は、5年間で3例4回である。そのうちの1例は、随分医師に迷惑がられた。3年間で2回開いてくれた1例は、医師の方から開催の依頼があった。普通の医師かもしれないが、偉大な医師に思えてしまう。
 府中市に精神科を標榜しているクリニックは9カ所ある。医師達との連携は希薄である。
 クリニックから訪問看護の依頼があった件数は、これまでの総数305件中、11件である。クリニックは病院と連携しているが、地域とは連携していない。
 実は、本当のクリニックは地域にはないのである。大抵は、病院の診察室が出張して街中のマンションにあるだけのような気がする。

問題5  巨大すぎる病院の問題
 いっそ精神科病院が地域包括ケアを全て担ってほしいと思うほど、病院は力を持ち巨大化した。しかし、これは精神障害者にとってはなはだ不幸なことである。病院が障害者のためにあるのではなく、障害者が病院のためにあるような印象になっている。
 地域包括ケアが発展しないのは、実は病院の巨大化に原因があるのではないかと思う。
 お金も人材も政治力も病院に流れる。
 地域包括支ケアを考える場合、巨大化した病院の問題を同時に考えていかなければならないと思う。

3、問題点の解決策・私案
 
問題1  利用者がネットワーク支援にストレスを感じるという問題
 精神障害者には、対人関係が苦手という人も多い。そのような特殊性を考慮した、その人に合ったオーダーメイドのネットワーク支援が必要だと考える。ときには、非ネットワーク型の支援を考えてもいいと考える。
 また、病状や生活の問題に対してあえて目をつぶり、部分的介入のみで生活を維持ししてもらうという方法を選択することもある。

問題2  支援者がネットワーク支援にストレスを感じるという問題
 事業所間には支援についての考え方の違いもあれば、利害関係もある。そのためネットワーク型支援では、チームを優先させる理念、利他の理念が必要である。そうは言ってもこれは相当難しい。
 もっともいい解決策は、ネットワークにある多種多様な機能を有する事業体について、連携を超える形で業務を統合させることだろう。これも簡単ではない。
 多種多様な事業体がネットワークで行う様々な業務を、隙間なくコーディネート・統括する機関があるとよいと考える。

問題3  ネットワーク構造にある問題
 支援が多くの事業所に分割化され、そこに支援の隙間が生じる問題は、ネットワークの属性と言うべき構造的な問題であり、解決は難しい。
 但し、もし、ネットワーク支援を隙間なくコーディネートする機関があり、さらにその役割を拡大充実させることが出来るなら、多くの問題は対症療法的にでも解決できるかも知れない。
 コーディネーターが、支援方針作りのためのイニシアチブを持ち、事業所間の利害を調整し、また軽快なフットワークを持って支援の隙間を埋める仕事をカバーできるなら、ネットワーク支援は包括的になるかも知れないと考える。
 反対に、これがなされないと、多くの事業所間で支援の方向性がまとまらず、現在しばしばみられる、支援の線引き、支援の押し付け合い、支援の取り合いが続くことになるかも知れない。そして、欠陥型包括ケアが続くことになるかも知れない。
 また、ネットワーク支援においては、一つひとつの事業所が、また一人ひとりの支援者もそうだが、複合的専門性を持つことが大切であると考える。つまり全人間的、包括的視点と技術を持つことによって、それぞれがネットワークを繋いでいく力があれば、ネットワーク型支援にある構造的問題は、幾らかは改善できるかもしれない。

問題4  医師の問題
  医師は薬物療法だけ間違いなくやってくれればそれでいい、と思うことが出来ればいいのだが。しかし、薬物療法と言ってもやはり多くの情報を元になされるものではないのだろうか。また地域の支援は、こと訪問看護に限定して言っても、それは治療でもある。医師が連携しないということは、医師にとっても、地域で生きる精神障害者にとってもマイナスである。
 医師にネットワークに入ってもらうための方策として、ケア会議出席に対する報酬を算定してもらいたい。但し、これは、焼け石に水。構造的な医療改革が必要なのだろう。

問題5  巨大すぎる病院の問題
 病院は、デイケアを行ない、グループホームを開設している。訪問看護も行っている。病院こそが包括的、オールマイティーになっている。
地域ネットワーク包括支援が進化・成長していくためには、病院の在り方を含めた病院・地域一体改革が必要だと思う。

4、まとめ
 精神科地域ネットワーク支援には解決が難しい問題が多々ある。とはいえ、今後体制作りが進められる精神科地域包括ケアシステムについても、高齢者地域包括ケアと同様にネットワーク支援以外のシステムを創設することは難しいかもしれない。
 抜本的な病院・地域一体改革がなされない状況の中で将来が危ぶまれる限りだが、今後もネットワークにおいて問題が生じるその都度、対症療法的に問題点の解決を図っていくしかないのかも知れない。
 ただ、ネットワークをコーディネート・統括する事業体をどのようなものにするかについてだけは、妥協することなくしっかり考えていくことが重要だと考える。高齢者地域包括ケアシステムのコピーでは追い付いていけない精神科独自のデリケートな問題も存在しているからである。


2017年6月10日、『コットンハス、フレンズ活動開始20周年記念祝賀会』を開催しました。
会は、ひいき目でしょうが、私達のいいところが出た、和やかでほのぼのとしたものになったなあと感じており、少なからず感動を得ることも出来ました。

そこで今回は、大まかな式の流れや、また、私のご挨拶を文章に起こしましたので、お読みいただければと思い、「おしらせ」にアップいたしました。

会場は、ルミエール府中を使わせて頂きました。お客様は、私共の作業所の利用者さんも含めますと、150名位の方々がお越し下さいました。
府中市はじめ他市であってもこれまで親しくお付き合いをさせて頂いてきた関係機関の方々、また、これまで様々な形で私達を支えて来て下ったお仲間一人ひとり、そして私達が市を超えて新しい支援の在り方を模索している「地域ネットワーク多摩」のお仲間、更には、高野律雄市長さん、市議の皆様方、そして都議の皆様にもお越しいただきました。本当に嬉しいかぎりでした。
会では、多くの方々よりお祝いの言葉をいただきました。これにも感謝申し上げます。

そして、国分寺市の「はらからの家福祉会」統括施設長の伊澤雄一さんに講演をしていただきました。現在の日本の精神障害者支援の現状や、今後望まれる支援の在り方などが話されましたが、いつまでも減少しない精神科病床の問題についてはベルギーを例にとっての病床削減の方法などの話もありました。ありがとうございました。
私達は、はらかの家福祉会の清廉な仕事ぶりを手本にしているところもあります。今回の講演を聞かせて頂き、さらに私達がやらなければならない支援とそこに必要な精神も学ばせて頂きました。

第2部は、アトラクションンとして音楽演奏を行ないました。
まずは、作業所の二名の利用者さんによるそれぞれバイオリンとピアノのソロ演奏があり、次は、作業所利用者さんのバンド「コットンフラワーズ」による演奏、そして、毎年開催される府中市ジャズインフェスティバルで、カフェ「コットン畑」に出演してくださっているバンド「楽の音」さんによる演奏が続きました。このとき、土屋真理子さんがボーカルで最初に2曲歌いました。
夫々の演奏が、私の目に焼き付いています。忘れられないものになりました。「楽の音」さんありがとうございました。

準備は、理事と職員とで行いました。100%手作りでしたが、自然にですが、いい味付けが出来たなあと思っております。

さて、それでは私のご挨拶を以下に書かせて頂きます。
話し足りなかったこともありますが、実際のお話より短くして書かせて頂きます。

『20周年祝賀会ご挨拶』
私達が、この府中市で20年前作業所を始めようと思いましたのは、これまで作業所やグループホームを設立して来られた沢山の先輩方の動機と相通うものがあるかも知れないと思っております。
それは、単純な動機です。精神障害者が地域で市民と共に普通に生活できるように何らかの支援が必要と考えたことからです。

当時私は精神病院で仕事をしておりましたが、丁度私にも少し支援の力が付いたと感じていたときでした。私のパートナーである土屋真理子さんから作業所を始めたいとの相談があり、二つ返事で承諾し、一緒に活動することになったのです。私達が望むような、障害を持っていても共に地域で暮らして行けるよう支援すること、その形の第一歩が作業所だったのです。
本当に何もない中、中河原駅近くのアパートの一室を借りて始めました。はらからの家福祉会のグループホームから使わない家具や事務用品を貰い受けたりも致しました。

そのころ土屋真理子さんは、「共に学び遊び働き・・・」というキャッツフレーズを持っていましたが、当時の支援活動のなかでも特に大切にしたのは、共に遊ぶことではなかったかと思っております。遊ぶと申しましても、それは、利用者さんと一緒に身体を動かしたり、自然に触れたり、また芸術に親しんだりする事でした。そして音楽や絵画他の表現活動を一緒に行って来ました。表現をしていくということが、不思議な回復力を育んでいたなあと思っております。
思えばその頃の支援は、現在の支援とは少し在り方が違っていたかもしれません。支援するものされるものという区別があまりなく、人間対人間と言いますか、全人間的な関わりと言いますか、支援が部分的なものではなかったのです。近くに住んでいる利用者さんなどは、私の家に遊びに来たりもしていました。それゆえに、現在とは異なる充実感を持って仕事が出来ていたような記憶があります。
本当に利用者さんとの幸せ作りの共同作業だったと思います。
そしてその後、私達は、就労支援を中心にした支援を続けていくことになりました。

さて20年が経ち、私達はこれからどこへ向かって進んでいけばいいのでしょう。

現在、私達の仕事は、事業発足の頃より確かに規模が少し大きくなりました。仕事の在り方も変っています。
しかし、立ち止まって考えてみますと、私達の支援は、社会の変化のスピードや人間そのものの変化、またそこで生じている心を取り巻く多くの問題に殆ど追いついていない現状があると気が付きます。
つまり、私達の仕事は、努力してはおりますが、恥ずかしいことにまだまだ足りないものばかりではないかと気が付くのです。
また、不思議な事ですが、事業の規模が大きくなったり、またネットワーク制度が整って来てくるにつれ、全人間的な支援を行なうことが出来なくなっている現状もあります。就労支援だけが重視され過ぎている支援の偏りも見られます。事業所間で業務が分割されているため、支援に漏れるニーズも発生していると思います。
どうしたらいいのでしょう。

私が考えるには、一つには、支援者一人ひとりで申し上げれば、矢張り研究を重ね、もっと全人間的支援を視点に支援することが出来なければダメだという思いがあります。一つの事業体ということでも同様だと思います。就労支援一つにしても、やはりこの視点が必要です。
私達は、支援者一人ひとりが、また事業所としても複合的専門性といったものを持てるよう努めて行こうと考えております。
私達はもう一度人間対人間の支援を進めていきたいと思います。
もう一つ大切な事として、私達はやはりネットワークの進化に貢献していくよう努力をして行こうと思っています。何と申しましても、様々な生活上のニーズ、多様な問題に対して、ネットワークで支援することが必要です。この場合、ネットワークは、ご家族、当事者、そして一般の市民の方たちの力も借りなければならないと思っています。
支援が偏らないよう、ネットワークの隙間でニーズに応えられない事がないよう、ネットワークとしても暖かいもの人間的なものに進化させて行くよう貢献したいと考えています。

最後に、私達はここで、1つの誓いを立てることで、皆様より、これまで通りのお力添えをいただき続けたいとお願いする次第です。

私達は、しっかり悩んでいくということをお誓い申し上げます。
私達が携わる精神障害者への地域支援は、残念ながら足りないものが多いと思います。諸外国に比べると遅れております。また、新たに生じる社会的な問題に、太刀打ちできていないという現状があります。私達は、この状況に立ち向かわなければなりません。なだらかな道を選択することは出来ません。ここで私達は、本当はどうしていいのか分からない状態です。
しかし、私達は本当にどうしたらいいのか、どういう方法がいいのかしっかり悩み続けて行こうと覚悟しております。
是非とも皆様、これまでどおり手を携えて、共に頑張っていければとお願い申し上げます。

どうか、これまでどおりのお力添えをよろしくお願い致します。

平成29年6月24日  
コットンハウス、フレンズ理事長
土屋秀則


2017年新年のご挨拶  
NPO法人コットンハウス、フレンズ
理事長土屋秀則

暖かく穏やかな元日を迎えました。
ここに、日頃からの皆様の温かいお気持ちに対しお礼を申し上げます。また、本年の法人事業における決意を述べさせていただき、引き続きご愛顧を賜りたくお願い申し上げる次第です。
私達の事業は、本年、開設20周年を迎えました。アパートの一室から始めた集まりでしたが、振り返ってみれば、何時の頃からでしょうか、地域に少しはお役にたっていることを感じられるようになり、また事業全体でもいくらか成長が見られていることを皆様からお話しいただけるものになっています。ありがとうございます。
私は、この20年目という節目に、「今も20年前と変わらないものを追い求めている」という思いが湧き上がって来ます。私達の変わらないものとは、「障害がある人もない人も、ともに学び、働き、遊び、表現し、自己実現と社会貢献を目指す」というものです。なかでも、「ともに」というところが大切なのですが、この在り方は、20年かけても実はあまり出来てきませんでした。私は、今後も変わらずこのことを追及していかなければならないと考えています。20年前よりも現在、社会の中で必要なのはこの私達の目指す「ともに」の在り方なのだろうと思うからです。

昨年は、「今、国際政治は分水嶺にある」ということをよく聞いた一年でした。実際私の目にも世界はそう映ります。すでに十数年前より流れが変わっていた世界経済を巡る状況に、この国際政治の流れが覆いかぶさって歴史は何処へいくのか予想がつきません。
私は、私達の小さな事業ですら、漏れなく世界経済や国際政治と密接に繋っていることを感じます。
おそらく社会は、あらゆる分野で矛盾が溢れ、ぬかるみのような状態となるでしょう。社会の矛盾は、貧困と格差の広がりに最もよく表れていると思いますが、それを是正する方策は全くとられる気配がありません。福祉事業は経済原理を導入されて、競争主義になってしまいました。
私達が営む福祉事業には、真っ暗な未来が口を開けて待っているといった状況です。
私達が、「コットンハウス、フレンズ」を開設した20年前は、まだ憲法25条の生存権が生きていて、福祉イデオロギーのもとで事業が行われていたと思います。現在、福祉事業に携わっている人のなかで、福祉社会、福祉国家への貢献を考えて仕事をしている人がどの位の割合でいるのでしょう。社会や事業の在り方が変わっただけではなく、同時に人間も変っていることを感じます。
福祉が崩壊することは、社会や人間のこころの崩壊を意味します。
「障害者はいないほうがいい」と言って殺人事件を起こす人間が出現しました。弱い者が自分よりさらに弱い者を抹消する。これは事件でしたが、社会もまた、既得権を持つ者、裕福な者が、持たない者弱い者を無視する社会になってしまっています。二つの事象は紙一重だと思います。
2本足で歩くようななった人間は元来不安定で弱い動物かも知れません。だから助け合って生き延びてきたと思います。しかしここにきて、動物としての人間が一気に頭をもたげました。力を持った強い動物が、弱い動物の生存権を奪うことは自然なことという訳です。
一人ひとりが繋がってある社会を崩壊させる道を、政治も経済も多くの人間も歩いています。

この状況にあって私達福祉に携わる人間には一層の辛苦が待っています。
しかし、それだからこそ私達には存在意義があると思っています。これまで以上に社会から必要とされていくと思います。20年前と同じように「ともに」という考え、在り方で、豊かさや幸せを追及していくことをやり続けようと思います。生き方下手のそしりを受けようと、知恵を振り絞り、アイデアを集めて乗り切ろうと思っています。一つの事業所では出来ないことですので、皆様と手を取り合って明るく楽しく、険しい道だからこそ喜んでこの仕事を続けていければ、と思っております。
今年一年どうぞよろしくお願い申し上げます。